Chataeu La Croix de Gay
Chateau La Fleur de Gay

1996年3月13日 MMC 41st Meeting (ポムロール特集)の資料より

ラ・クロワ・ド・ゲイは5世代に渡ってアルデュラ・レイノー(Ardurat−Raynaud)ファミリーの所有となっている。このファミリー非常に古くから、美しいポムロールの土地にいる。文献によると、遥か昔1477年ラ・バロードリー(La Barrauderie)はバロー(Barraud)兄弟の一人であり、レイノー・ファミリーの祖先であることが解る。バロー氏は1901年にワイン生産者組合の創設委員の一人であった。彼の孫が現在のラ・クロワ・ド・ゲイの所有者であるレイノー氏であり、ポムロールの修道士(Les Hospitaliersde Pomerol)の協会の創設に積極的に参加した。


5箇所に点在する畑のうち赤色で塗っている畑よりラ・フルール・ド・ゲイが生まれる
1992年夏シャトーを訪問。気さくなムッシュー・レイノー氏は非常に歓迎してくれた。夫婦で出迎えていたださ、はしばみの実を割っては我々に勧めてくれた。レイノー氏の説明によるとラ・クロワ・ド・ゲイの畑は5ケ所に分散し、そのうちペトリュスに最も近い2ケ所の畑からメルロ100%、新樽100%を使ってぜい沢仕込みのラ・フルール・ド・ゲイ(La Fleurde Gay)を1982年から造っている。このラ・フルール・ド・ゲイを造り始めてからラ・クロワ・ド・ゲイも品質が向上したのは言うまでもない。熟成庫は上下2つに分かれ、上の階がラ・クロワ・ド・ゲイ。先にラ・クロワ・ド・ゲイの1991年ものを樽から試飲し、そのままグラスにワインを残したままラ・フルール・ド・ゲイの熟成庫に下り、レイノー氏は残ったラ・クロワ・ド・ゲイをラ・フルール・ド・ゲイの樽に戻す。「同じワインだからいいんです。」とまさにフランス人。ここでは訪問者に一般販売も行っている。何故かサロンにはユーロカーブが置いてあり、その中にキャップシールがかぶっていない1985年のラ・フルール・ド・ゲイが1本転がっているのを見付けた。当時1989年のラ・フルール・ド・ゲイを販売しており、(記憶が正しければ200フランだったと思う)私は白々しく、「1985年はもう売ってないんですか。」と尋ねると、「殆どアメリカに売ってもうない」と言いながらユーロカープにあった1985年を取り出し、しばらく姿を消す。すぐにキャップシールを付けて戻って釆て「どうぞ」とプレゼントしていただいた。このヴィンテージは娘の生まれ年だと言うと「じゃあ彼女が20歳になったら飲みなさい。」すごく感激した。いつかまた必ずここに来よう。 M.Pomerol




ドクター・レイノー氏とムッシュー・ポムロール




写真は1992年9月撮影


   

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